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日田祇園祭は約500年前、疫病災害の厄除け神事として始まりました。神輿のお供をする山鉾は、その高さや豪華絢爛さを競い、勇壮な男衆達が町内を曳き回します。平成8年に国の重要無形民俗文化財の指定を受け、九州三大祇園のひとつとして九基の山鉾が優雅な祇園囃子の音にのり巡行が行われます。


シシゾウ:日田祇園祭はいつごろ始まったのですか?
後藤:祇園祭は京都の祇園社(八坂神社)で悪疫退散のために始まった祭礼です。日田祇園祭は、1440年頃に日田で疫病が流行したり稲が害虫に襲われたり、災いが続いたので強い神様にお願いしようということになり、祇園社の御祭神の分神を日田に移し奉ったことに始まります。現在、市内には5つの祇園社があり、それぞれの氏子が祭りを行っています。その中で、市中心部の豆田(まめだ)地区と隈(くま)・竹田地区の祭りに神輿のお供として各4基、合計8基の山車が出動し祇園囃子にのって曳き回されます。
シシゾウ:日田祇園祭の山車はどういう特徴があるのですか?

後藤:4つの車輪がついた曳き山で、日田では山鉾(やまぼこ)と呼ばれます。4本柱に取り付けた屋形に人形を飾り、一番上には御幣や幟(のぼり)、松を飾る豪華絢爛なものです。山鉾の形状は時代によって移り変わりがあり、15世紀半ばに書かれた記録によると、1~2mの箱に杉の枝を垣のように周囲にめぐらして真ん中に御幣を立てたものを、神輿のように担ぎ棒で担いで回るものだったようですが、正徳4年(1714)には既に現在のような形になっていたということです。日田は江戸幕府直轄地の天領だったので、おそらくいろんな任地を回って各地の祭りを見てきた代官が、京都や飛騨高山の祭りの山車を真似させて現在のような形になったのでしょう。大きさも変遷があって、江戸時代末期には高さが20m近くあるような山鉾も造られたようですが、明治時代の終わりに電線が張られたため、運行に支障のないようにと、高さが6mまで下げられました。その後、8mまで高さが上げられ現在に至っています。先程、山鉾は全部で8基と言いましたが、実はもう1台山鉾があります。これは、隈町の青年有志が昔のように背の高い山鉾を再現しようということで造ったもので、高さが10mあります。造られたのが平成2年なので平成山と呼ばれています。
シシゾウ:山鉾に飾られる人形はどういうものですか?

後藤:人形は等身大の大きさで、3~4体を使って物語の1場面を表現します。題材は毎年変わり、多くは歌舞伎や能の演目からとられます。人形とともに、ぜひ注目していただきたいのは見送りと水引(みっちき)です。見送りは山鉾の背面に飾られる高さ3m、幅1.5m程の垂れ幕で、水引は山鉾の土台の周囲に張り巡らされる幅1m程の幕です。ラシャ地に金糸・銀糸で虎や鷲、龍などの絵柄の刺繍が豪華に施されています。ほとんどが100年以上経つ古いもので、文化財としても芸術品としても非常に貴重かつ見事なものなのです。

シシゾウ:山鉾はどのように運行するのですか?

後藤:昼間、山鉾は自分たちの地区の祇園社の神輿のお渡りにお供する形で巡行し、夜は晩山(ばんやま)といって、山鉾だけで自分たちの町内や地区を回ります。昼の光の中で見送りや水引で飾られた豪華絢爛な山鉾もいいですが、見送りや水引を取り払ったところに100個以上の提灯を飾り、明かりを灯した晩山も見事です。遠くから見ると提灯の山が動いているようでとてもきれいですし、近くで見ると、提灯の光の中に飾られた人形の顔が陰影豊かに浮かび上がりとてもドラマチックです。
晩山は夜の11時頃まで行われますが、その中で最大の見せ場は2日目に各地区の4台の山鉾が気勢を上げて集結する「出会い」です。隈・竹田地区の場合、札の辻(ふだのつじ)と呼ばれる2本道が合流して1本道になるY字型になった場所に、4基の山鉾が勢いよく走り込んできます。まず、最初の1基が走り込んできて所定の位置に停止します。そして場所を少しずらしてスペースを空けたところに次の山鉾が走り込んできて、1基目の山鉾とスレスレのところでピタッと停止します。同じようにして3基目、4基目が走り込み、4基の山鉾が並ぶと「ワッショイワッショイ」と勇ましく掛け声をかけあいます。狭い場所で見物人も大勢いるところに山鉾が大きな車体をガタガタ揺らせながらすごい迫力でつっこんできて、他の山鉾にぶつかりそうになる寸前で停まるところはスリリングで見ていてハラハラします。豆田地区の晩山の一番の見せ場は花月川(かげつがわ)に架かるみゆき橋と一新橋という2本の橋をグルグル巡回するところです。橋の上に4基が揃い踏みするとき、山鉾の提灯の灯りが川面に映ってとてもきれいです。

後藤:祭りの2日間、山鉾は豆田地区の4基、隈・竹田地区の4基で行動するので8基が勢揃いすることはありません。でも、祭りの2日前、集団顔見世と言って、平成山を含む山鉾9基が夜8時にJR日田駅前に提灯に明りをともして集結します。本番の2日前、各町では流れ曳きと言って必ず山鉾の試し曳きをすることから、どうせなら両地区の山鉾が揃ったところを見せたらどうかということになり、平成元年から始まった催しです。このときしか9基が顔を揃えるところは見られないので必見です。なお、平成山が見られるのはこの集団顔見世と1日目の隈地区の晩山のときだけです。

シシゾウ:日田市で後藤さんのおすすめの観光スポットや特産物を教えてください。

後藤:日田は九州のちょうど真ん中に位置し、周囲を山に囲まれ、清流が潤す風光明媚な町です。街の中央を流れる三隈川(みくまがわ)の名物が屋形船で、江戸時代には代官が舟遊びを楽しんだと伝えられます。三隅川のアユも美味なことで知られています。祭りの時期はちょうどアユが旬を迎える時期なので、屋形船や市内のお店でアユ料理を楽しんではいかがでしょうか。市内にはミュージアムや資料館、工場など、見学できる文化施設がたくさんあります。日田祇園祭について詳しいことを知りたい方には、隈地区にある日田祇園山鉾会館がおすすめです。昔の山鉾の模型と隈・竹田地区の山鉾5基が見送りや水引とともに常設展示されています。


後藤:日田の人間は人情に厚く、気配りも細やかなように思います。実際、日田に訪れられた方が「この町の人はとても親切ですね」とおっしゃる声をよく聞きます。ぜひ人情味豊かな日田にお出でいただき、「日田祇園の曳山行事」として国の無形民俗文化財になっている私たちの祭りをご覧いただきたいと思います。